認識の貧困はどうすべきか?
思い込みの激しい人というのがいる。昔なら、ガンコとか、そういうので括られた。また新興宗教にハマる人や騙されやすいと言ってもよかった。しかし最近ネット社会でブーストされていると思う。年齢限らず、カテゴリも増えている。
そういうのを「認識の貧困」と捉えてみた。
例をあげ考えてみたい。
1.自分のいる世界がすべての人々
ネットによれば、とか。まわりはこう。といことに影響されてしまう。
本人はどうあれ、弁護士や淫夢、さらにエスカレートするとコンビニで問題写真を撮ったり、肖像権侵害写真を晒してしまったりする。
ネットやリアルの違いはあれ、簡単に言えばモラルの欠如なのだが本人のまわりがやってるのだから問題ない。という倫理観で行動する。
自身で善悪の区別もなく、ネットの多数が自分のようなものの連続線上にあり行動してしまう。
2.陰謀を好む人々
オカルトはネットで増幅する。
健康食品や、水、などの疑似科学がリアルで伝達するうちは良かったがネットによってバーストしてしまった。
さらにいうと、人工地震だのなんだのになるともはやレベルを超えてしまって現実を歪んで捉えてしまう。
一部である不正選挙陰謀もそうだろう。
EM菌や田布施なんとかにおいては、すでに語るべくもない。
#3.政治や国を自分と重ねすぎてしまう人
ネトウヨは敗戦したのを認めないし、ほとんど架空戦記か被害妄想と言っていい。北朝鮮への制裁やパチンコ業界の比率を見れば、パチンコ費用がミサイルになってる。
あと、極東軍事裁判は間違ってた。とかヤルタ会談がなかったら負けてなかった。などというのは、噴飯を超えて反知性としか言いようがない。
こういう人は生活の不満が国家レベルのプライドで補完されると信じており、それが単なる統治機構に過ぎない国家を同一視する。つまりストレスのはけ口である。
同様のことは、ネットだけサヨクにも言える。
デモや集会に出る人はまだいい。
今の国家体制の不満を単なる政治家自身のパーソナリティに求めるのは、短絡過ぎる。
日本は議会制民主主義であり、選挙の具体的な応援、そしてそれをしたところで直ぐには変わらない。
彼らとの対話は可能なのだろうか?
上にあげた三つのケースはネットが作り出した視野狭窄だと、ネコは考える。
しかし、治療というほどでもなくもちろん病院に連れてくわけにもいかない。
問題は、冷静に保守であれ、革新であれ、あるいはモラルを持つ人であれ、具体的な行動をする人の足を引っ張り、あまつさえ意味を消してしまうことだ。
以前は、ノイジーマイノリティだったかもしれないが、最早現実に影響を与えるようになってしまっている。
対話や教育、啓蒙といったもので、何かできるか?といえば彼らに共通するのは反知性、権威である。
認識の貧困というのがわかってもらえたと思うが、ネットは広く知識にリーチできるが視野狭窄の仲間も見つけやすい。
Googleは民主主義を目指したはずが、かえって認識の貧困。そう、もう選択肢が自分に見えやすいもの、にしてしまった。
現時点で、これらの視野狭窄が生む弊害を完全に消す方法は私は考えにくい。
ただでさえ、不景気に対話と治癒をなすべき方法もなさそうだ。
さらにそうなってしまった人をGoogleが正しさにおいて是正しようとしても無理なところまで来てしまった。
オチがなくて、申し訳ないが単なるお金の貧困だけでなく、認識の貧困という大変な問題を提起できればと考える。
あたまいたい。