いつまでもネコだと思うなよ。

まあ、なんだ。ネコが言うことだから許せ。

たまには軽いのでも行こう!ネコ文学だよ!

ワガハイーはネコである。

日本で一番有名なネコと言えば、一説には黒猫。その後様々な調査でシマだったとも言われるが、夏目金之助こと漱石が書いた長編のネコであろう。我輩は猫である。と言うやつだ。 ただし、ネコ小説は西洋にはたくさんあり金之助が最初というわけでもない。

特に意味はないがモデルとなった夏目家のネコを悼む金之助の句と手紙を引用する

この下に稲妻起る宵あらん

解説すれば、木の下になんだか物騒なもんが夜の闇に消えて行きました。か。

さらに知人に宛てた手紙

辱知(じょくち)猫儀久々病気の処 療養不相叶(あいかなわず)昨夜いつの間にかうらの物置のヘッツイの上にて逝去致候 埋葬の儀は車屋をたのみ箱詰にて裏の庭先にて執行仕候(つかまつりそろ) 但し主人『三四郎』執筆中につき御会葬には及び不申候(もうさずそろ) 以上

これも解説しておこう。ま、超訳だと思ってくれ。 ネコ、病気だったんだけど世話したけど、昨日物置の隅で死んでたよ。 業者頼んで適当な箱に詰めて、庭の裏先に埋めた。 だけど、おれ、三四郎書いてて忙しいんで、葬式とかやらないし弔問も来なくて良いよ。

昔のネコにしちゃぁちゃんとしたとも言えるし、夏目漱石の大ヒット作だから友達に手紙送ったのか。それとも大げさに言ってみた悪ふざけなのか。

漱石はネコが好きだったのだろうか?

近代日本人の悩みと相克みたいな問題は流行りの姜尚中先生か誰かに任せておこう。手に負えないし。 ネコネットワークを駆使し、近くの漱石の猫の家。に行ってみた。

こんな時、文豪の街は便利だ。 執筆した実物は、博物的に他の場所に移設されている。文京区向ケ丘の猫の家には碑がある、執筆したホンモノの建物ではない。それとなく不思議だ。

漱石はネコの私にしては何度となく読んでいる。 特に後半人生の暗いやつ。夢十夜。好きよ。 それからも道草も。ま、脱線したな。

だけど、我輩は猫である、を改めて精読すると。 漱石、ネコ好きじゃないんじゃね?って思った。

その頃漱石、精神的に荒れてた。家族に当たり散らし、少し精神も病んでた。 ロンドンから帰ってこの方、仕事は評価されないし。 俺っちすごいのに。とでも思ってたのか。それとも、研究の説通り日本的なるものに向かい過ぎてたのか。

しかし、今で言えば軽いタッチの長編でデビューとは思ってもいなかったろう。 しかもこれはヒットして掲載誌の売り上げあげた。もしかしたらオレの書きたいものは違うんじゃぁと、面白くなかったかもしれぬ。

我輩は猫である。 基本は、猫からみて家族のバカを観察する話だ。 簡単に言えば、ネコの家政婦が見たなんだろう。市原悦子でも猫村さんでも良いが。 ま、猫村さんみたいに家事できないし、市原悦子みたいに事件を解決せんけどね。

と、当時にしてはラノベみたいにすらすら読める。 できれば森登志彦にリノベしてもらえば、ま、ラノベになる。

それにしても、研究文献を読み漁って考えたのは奥さんにDVしつつ、猫を通じてなんか家族とも世間ともコミュニケーションしていたように思えた。ワガハイネコには。なんか、ネコ目線でしか逃げれなかった漱石の弱さなのかな?

私のようなネコとしては家庭不和のネタにされチャァ憤慨至極である。が、漱石がその後50前で早逝すると。奥さんが代わってネコの何回忌もやったそうであるから、旦那への恨みなのか、思い出なのか。奥さんこそ、ネコ好きだったのか。今となってはかなりの部分がわからない。

そして私は悟った

そう、我輩は猫である、は猫村さんのご先祖さまであり、ことによると綿の国星やら、家政婦は見た、の市原悦子やら。彼女もなんか、老猫ぽいしな、の元祖ってことだ。 少しバイオレンスだが家政婦のミタかもしれぬし、家族ゲーム松田優作も猫だったやもしれぬ。

外部者。そう、この場合のネコなら人間に悪態ついても平気なのである。 だいたい、話さないし。ただいるだけだ。 ただ、その後の後継者は猫村さんを除き結構めちゃくちゃに家庭をして参りますが、漱石がそんな目に合わなくてよかった。

猫は死ぬ。ほぼ、確実に人間より先に

ネタバレだが、我輩はビール食らって死ぬ。 夏目家の猫も、前述の通り物置の陰で死んだそうである。 その後、ご存知の通り少しの娯楽作。そしてシリアスものと手を広げ夏目漱石は大活躍する。死んだネコを踏み台にな!

ただ、現代では都市猫は多くは子どもがわりである。

夏目家には子どもがいた。

夫婦仲が悪いのなら、当時は子どもも、ネコ並みの扱いだったのかもしれぬ。無視加減で。

近代人の目覚め、と言われる漱石であるが、よくよく考えてみるとネコをはじめ、女、子どもには酷い時代をやっば引きずってたのか。 時代が彼彼をそうさせてしまったやも知れぬ。 とは言え、せめて猫の視点だったことで、家族は漱石の直接のストレスのはけ口にされずにすみ、生き延びれたのかも知れない。

だ、か、ら、漱石をネコと!女!子ども!で打ちのめす、薄い本が是非欲しくなる。 誰か作って。

男性中心主義は、ネコと、女、子どもで文豪を生み出したと。 漱石もそうなのか。

もちろん、ドイツで恋人捨ててきた森鴎外よりマシかも知れんが。

21世紀は未曾有のネコブームを生み出した。

が、その近代日本のネコ小説オリジナルを考えるとき、わたしというネコ的には漱石はちょっち憎い。