いつまでもネコだと思うなよ。

まあ、なんだ。ネコが言うことだから許せ。

世界がおかしくなった時にすること。

ネコです。

 

世界がおかしくなってます。アメリカの大統領、英国のブレグジットイスラエル、韓国。我が国の破綻したTPP。すすむ、ヘイト、デマさらに小規模とはいえテロとヘイトクライムの繰り返し。

そして、ここには楽しい気分の人も、ネコのように非常にきついと思ってる人もいるでしょう。

私たちネコは最も弱いのの一つです。

犬は食いどころがあったのでさきの日本での戦時中は生き残りましたがそれすら我々の祖先が生き残ったキッツイ現実です。

 

まぁ近所の猫のゲーム屋のオヤジと

まあ、ニンゲンから「ネコ」なみに思ってトランプはやってんだろうな。そもそも移民や、イスラムはイヌでありゃ良いが、そりゃ当初は言葉も仕事もできんし。われらネコ並みだよ。その後は、国を活性化するのに貢献してきたのになぁ。きっとあいつ自分にすぐ懐く犬しか嫌いにゃーよ。

嘆息とも、笑い泣きとも取れない感じでオヤジは言いました。

 

吾輩のような、ネコにできることはないけど。正気を保っている飼い主に飼われること。一緒に和んで生き抜けるよう。世界がこんなでも。

 

できることをしようと考えてます。

脳みそちっちゃいけど。

メンタルに問題のある方に耳寄りな情報。


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ネコです。

他のブロガーさんを腐したので。ワタシが知りうる限りのメンタルに問題があるヒトにガチで役立つ方法をご呈示したい。

 

経歴

ニャント大学精神医学教室 病理誌研究科卒

インターンでニャーでニャーなって逃げ出す

中井久夫をこよなく愛す

 

*これはネコによる個人的見解です。

実際の活用には慎重を期し、医師の判断を仰いてください。

 

病因は大きいところにしろ

出来るだけ大きい方がいい。大きくて、カウンセラーがいないとお話にすらならんし。おくすりやめれないです。なおかつ、チーム医療がいい。やたらとデスクに本はやめとけ。なるだけ専門医の経験池が中の上。つまりでかい病院の若手がいい。死にそうになったら入院させてくれるのもマスト。

精神医療はテーラーメードだと知るべし。

 

クスリは計画的に

最初から新薬を出すのはやめろ。最初から複数処方はやめろ。

かつ、薬効と時期。最初から一週間後に来いは

やめろ。更にいうと小難しい理屈も、あまりにも子供だましな理屈も要警戒。

 

検査はできるだけしろ

メンタル界隈がばぶってるが、血液検査も何もしないのはいかん。精神科だからって他病の予見をしない医者はやめろ。

 

補足

ネコは、保険に入ろう。アニコムがオススメだ。

 

平等の格差、あるいは妬むものたちへの死亡宣言

ネコです。

ごぶさたです。

最近、格差について考える事由が増えた。書いてみたいと思う。もちろん、ひとつは相対的貧困の女子高生であり。もう一つは、混血女性政治家の国籍問題である。

さて格差問題ですがそれ以前に平等というものを理解していないバカが多いので抑えておきたい。

平等であるべきなので叩くべきという自己責任のカルマに陥るバカ

平等とは?公平、公正とは何か。なんていうとルソーからロールズ。一時期流行った、正義論まで行くのでその辺は基礎教養として抑えとけ。大概の法哲学やらのあんちょこ読んどけばなんとかなる。もちろん、原典や民主制の基礎、一神教教圏における神の子としての平等として聖書学やクアルーン。日本語名コーランまで遡れば望ましいが、まぁいい。

しかしながら現代において重要なのは二つだ。アタマにたたきこめ。

機会の平等と結果の平等

これだけだ。

前提として平等という概念は自由主義、自由意志の問題と僅かに反しもしつつ、現代では概ね折り合いをつけてる。自由に行動し、選択したとしても人間としての平等は保障されるべきという法概念である。

貧困は人工物である。

努力は確率論である。

普通が悪いなら子供は幸せになれない

リスタートできない人生は世の中のせいである。

まあ、この区別が自己責任と努力と根性にリンクしてる奴には全く通じない。 ベストセラーの言ってはいけないとか。 愚かも甚だしい。

ニャー

いやはてなブログって

まんじゅうのうたを思い出した。

その時の表情がコレだ。

まんじゅうの歌とは。 博多の女。という歌。

このサイトは、広告を貼ってません! 貼り方が分かんないのもあるけど、なんかみんな必死すぎて笑ってしまって。

なんすか。あれ。同じフォーマットに新規性のないネタ。

おまえおまえ!そこのお前だよ。

目次に見出しに、黄色線。 一つ覚えのCSSと丸出しのパクリと、少しの生活感。

なんか変なカルチャースクールが教えてるの?^_^

それって役に立つのかなぁ。

叫ぶ詩人の会みたいに、叫ぶブログの会でもやろうかと思ったぜ。

マネタイズ大事よ大事。だけどニャー。

写真ぐらいオリジナルでもいいんじゃまいか?

素材とFAQと個性のないお話。

ガチニャーガチニャー?梅田望夫にだまされたのな!

貧困弄る、炎上王子のパクリかよ。 みんな、高知に飛んでいってしまえにゃ。

Android7.0になったので記念カキコ。ニャー。

あー。スッキリした!

まあ、掘れよ産めよ。

本日。

台風の後。

狂気の母が子を殺し。

学歴に従わぬちちが息子のハートを射抜く。

何か良いニュースはないかと。眼をひからせ。

東京無線から日本交通の悪口を聴き。 日本交通の二代めの母がゴルフ場の売却で泣いた昔話。

さてはて、無線の運転手は長患い。 若手が黒を独占。

個人タクシーは410円に反対し。

国交省東京五輪で各交通機関。地下鉄含むに、圧力。

原発は一時工事停止。

木村拓哉さんは真っ黒に日焼け。 発言は、両成敗的な。な?

レールガンを実用化。

なのに、首相は先制反対。

国連では核制限に棄権。

キモノはびしょ濡れ再生不可。

マリオ、ゲーム脳否定だよな。

ドラえもんと翼は不滅。

野田地図と椎名林檎が交差する。

あべちゃん友達より代理店。

Soilがリオで鳴り響く。

anthemと違う国歌否定のエフェクトなり。

さて、ガラガラポンのはじまりだ。

敵のチカラしか残ってねぇ。

おうきくんは、第二の故郷に独裁の使者

ピエロは誰だ?悪者は、良いものは?

ヒーローなき21世紀。

誰もが誰もの足引っ張る。

マットでしめて賠償せず。

裁判所でも差し押さえできぬ。闇の田舎はイジメ忘れ。

子どもを護れ、弱者を厭え。

嗤う強者よシを思え。

猫にひれ伏せ、ヒトに幸あれ。

アンセムの意を知れ、他我を受け入れ。

フォーマットに支配されたネットに終わりあれ。

ニャーニャー。

五輪でネコも考えた

ネコです。

さて2020東京だ!なの?

とりあえず、リオオリンピックが閉会した。治安や諸々心配されたけれど何はともあれ死者もなく終わったのが何より嬉しいニャー。 死者もテロもなく。ほとんどこれがめでたい。

しかし東京五輪は問題山積なのだそうだ

まあ、いろいろ見ますよ。お茶の間で。 よくわからんが、工事は多いね。ニャー

さて五輪問題の本質は何なのだろう?

ふと考えて見たら1964年の東京オリンピックは参加国が100を切ってる!!!

しかしリオでは200超えてる。

もちろん、選手団も一万人規模に増えとる。 一万人て、あーた。ちっちゃい市ですよ。 コーチや関係者は含まない。いやー。恐ろしい。

200ヶ国って、二週間、国連ほとんどの国ちゃいまんのん。 その上、観戦客だ何だいったらパニックだよな。

そうか、それでカネがかかるのか。

ほんの50年前から倍増してんだから。国も選手も。

商業五輪は悪かったのか?

商業化したのは1984年のロサンゼルス五輪。これで放映権。オフィシャルスポンサーの絞り込み。 現在のオリンピックの諸悪の根源と言われてる。

でも、待てよ。と。

実はこん時オリンピック人気なくてロスしか立候補しなかったのよ。しかも、レーガン政権。

権力の介入を嫌がって税金1ドルも使わず。なんと黒字で終わったのだった。 ま、その前のモスクワがボイコットの渦だったからね。 もちろん、スタジアムは改修のみとか、まるで2020の東京の当初のコンセプトのように実施したのである。

オリンピックは儲かると思ってしまった罠

ネコからすれば1984は諸悪と言うより、やれば儲かる。放映権だのスポンサーだの。と言うこと気づいてしまった、というきっかけに過ぎないのではないかと。 本来は経済的なはずの、政治から独立したはずのロス五輪を奇貨としお金の虫がまとわりつくようになってしまった。のではないか?

そんである種の豪奢な発展をアピールし、かつ土地ころがしと土建屋政治屋だけが儲かってんのかニャーってのがネコの見立てよ。

そうなのよ、商業五輪は権力から逃げるはずがお金欲しい人や権威を誇りたい国を呼び込んでしまった。

都市のレガシーという幻想

東京でやるのは無理もないかなぁ。だってハコモノあるし。インフラもあるし。なのだけど、それを活用するのはソフトがいるので、多目的かつアクセスが良く、都市整備につながらねばならんだろう。

新興国がやるのもお金的にキツく、かつ先進国ではなんか要らないハコモノ作るという。 パンドラの箱を開けちゃった1984。正にディストピア。さすがレーガン。あの世でこんなことになってるとは思わなかったろう。

どうすんのよ東京

ただでさえ、都市の老朽化および高齢化。 そして首都高なんてグリングリンなので、本来は生活に役立ちうるレガシーを残すべきなんだろうな。観光でも何でもいいけど、継続的かつ持続的に住民も訪問者にも。 長野はそれをなんとか成し遂げたし。善光寺前なんてきれいよきれい。もちろん、ちっこかったから出来たのやも知れぬ。

今からでも遅くないんで、その後の計画もたてようよ。

JOCや国だけじゃなくて、都も積極的に関わって欲しいですよ。まったく。 日本で、まともに税収ある。かつ世界に冠たる巨大都市なんだから。

レガシーには良いレガシーと悪いレガシーがある。

五輪でリオのスラムがなくなったら良いけど。

五輪で東京が老人スラム化しましたとか。シャレにならないから。 実際ニュータウンは悪いレガシーだ。首都高も。 今のことだけ考えずにやってくり。 リニアより電柱埋めろと思う。まあイヌのマーキングには便利だけど。

しかし。 老人スラムはノラ猫には生きやすいかもしれないけどニャー。ネコ好きだし。老人。 やさしいし老人。 ネコに言われるまでもないと思い込みたい。。。

たまには軽いのでも行こう!ネコ文学だよ!

ワガハイーはネコである。

日本で一番有名なネコと言えば、一説には黒猫。その後様々な調査でシマだったとも言われるが、夏目金之助こと漱石が書いた長編のネコであろう。我輩は猫である。と言うやつだ。 ただし、ネコ小説は西洋にはたくさんあり金之助が最初というわけでもない。

特に意味はないがモデルとなった夏目家のネコを悼む金之助の句と手紙を引用する

この下に稲妻起る宵あらん

解説すれば、木の下になんだか物騒なもんが夜の闇に消えて行きました。か。

さらに知人に宛てた手紙

辱知(じょくち)猫儀久々病気の処 療養不相叶(あいかなわず)昨夜いつの間にかうらの物置のヘッツイの上にて逝去致候 埋葬の儀は車屋をたのみ箱詰にて裏の庭先にて執行仕候(つかまつりそろ) 但し主人『三四郎』執筆中につき御会葬には及び不申候(もうさずそろ) 以上

これも解説しておこう。ま、超訳だと思ってくれ。 ネコ、病気だったんだけど世話したけど、昨日物置の隅で死んでたよ。 業者頼んで適当な箱に詰めて、庭の裏先に埋めた。 だけど、おれ、三四郎書いてて忙しいんで、葬式とかやらないし弔問も来なくて良いよ。

昔のネコにしちゃぁちゃんとしたとも言えるし、夏目漱石の大ヒット作だから友達に手紙送ったのか。それとも大げさに言ってみた悪ふざけなのか。

漱石はネコが好きだったのだろうか?

近代日本人の悩みと相克みたいな問題は流行りの姜尚中先生か誰かに任せておこう。手に負えないし。 ネコネットワークを駆使し、近くの漱石の猫の家。に行ってみた。

こんな時、文豪の街は便利だ。 執筆した実物は、博物的に他の場所に移設されている。文京区向ケ丘の猫の家には碑がある、執筆したホンモノの建物ではない。それとなく不思議だ。

漱石はネコの私にしては何度となく読んでいる。 特に後半人生の暗いやつ。夢十夜。好きよ。 それからも道草も。ま、脱線したな。

だけど、我輩は猫である、を改めて精読すると。 漱石、ネコ好きじゃないんじゃね?って思った。

その頃漱石、精神的に荒れてた。家族に当たり散らし、少し精神も病んでた。 ロンドンから帰ってこの方、仕事は評価されないし。 俺っちすごいのに。とでも思ってたのか。それとも、研究の説通り日本的なるものに向かい過ぎてたのか。

しかし、今で言えば軽いタッチの長編でデビューとは思ってもいなかったろう。 しかもこれはヒットして掲載誌の売り上げあげた。もしかしたらオレの書きたいものは違うんじゃぁと、面白くなかったかもしれぬ。

我輩は猫である。 基本は、猫からみて家族のバカを観察する話だ。 簡単に言えば、ネコの家政婦が見たなんだろう。市原悦子でも猫村さんでも良いが。 ま、猫村さんみたいに家事できないし、市原悦子みたいに事件を解決せんけどね。

と、当時にしてはラノベみたいにすらすら読める。 できれば森登志彦にリノベしてもらえば、ま、ラノベになる。

それにしても、研究文献を読み漁って考えたのは奥さんにDVしつつ、猫を通じてなんか家族とも世間ともコミュニケーションしていたように思えた。ワガハイネコには。なんか、ネコ目線でしか逃げれなかった漱石の弱さなのかな?

私のようなネコとしては家庭不和のネタにされチャァ憤慨至極である。が、漱石がその後50前で早逝すると。奥さんが代わってネコの何回忌もやったそうであるから、旦那への恨みなのか、思い出なのか。奥さんこそ、ネコ好きだったのか。今となってはかなりの部分がわからない。

そして私は悟った

そう、我輩は猫である、は猫村さんのご先祖さまであり、ことによると綿の国星やら、家政婦は見た、の市原悦子やら。彼女もなんか、老猫ぽいしな、の元祖ってことだ。 少しバイオレンスだが家政婦のミタかもしれぬし、家族ゲーム松田優作も猫だったやもしれぬ。

外部者。そう、この場合のネコなら人間に悪態ついても平気なのである。 だいたい、話さないし。ただいるだけだ。 ただ、その後の後継者は猫村さんを除き結構めちゃくちゃに家庭をして参りますが、漱石がそんな目に合わなくてよかった。

猫は死ぬ。ほぼ、確実に人間より先に

ネタバレだが、我輩はビール食らって死ぬ。 夏目家の猫も、前述の通り物置の陰で死んだそうである。 その後、ご存知の通り少しの娯楽作。そしてシリアスものと手を広げ夏目漱石は大活躍する。死んだネコを踏み台にな!

ただ、現代では都市猫は多くは子どもがわりである。

夏目家には子どもがいた。

夫婦仲が悪いのなら、当時は子どもも、ネコ並みの扱いだったのかもしれぬ。無視加減で。

近代人の目覚め、と言われる漱石であるが、よくよく考えてみるとネコをはじめ、女、子どもには酷い時代をやっば引きずってたのか。 時代が彼彼をそうさせてしまったやも知れぬ。 とは言え、せめて猫の視点だったことで、家族は漱石の直接のストレスのはけ口にされずにすみ、生き延びれたのかも知れない。

だ、か、ら、漱石をネコと!女!子ども!で打ちのめす、薄い本が是非欲しくなる。 誰か作って。

男性中心主義は、ネコと、女、子どもで文豪を生み出したと。 漱石もそうなのか。

もちろん、ドイツで恋人捨ててきた森鴎外よりマシかも知れんが。

21世紀は未曾有のネコブームを生み出した。

が、その近代日本のネコ小説オリジナルを考えるとき、わたしというネコ的には漱石はちょっち憎い。